先日、アメコミ界の巨星スタン・リーさんが亡くなった。
その偉業について語るのはアメコミに詳しい人に譲るとして、自分なりになにかできることはないかと考えて、昔のインタビューをここに転載することにした。
これは2002年「スパイダーマン」の公開に合わせて彼のオフィスで行われたもので、取材時には「スパイダーマン」が大ヒットとなり三部作となることも、その後、アメコミ映画がハリウッドを席捲するようになることも知らない。
実はこのあとも数回取材をさせてもらっているのだが、当時はまだそれほど取材慣れしていなくて、1対1のロングインタビューであったこともあって、このときが一番印象に残っている。
楽しんでもらえると嬉しい。
スタン・リーさん(撮影2016年)
スタン・リー インタビュー(掲載『CUT』)
——いよいよ映画『スパイダーマン』が公開になるわけですが、今の率直な気持ちはどうですか?
「待ち遠しくてたまらないっていう、素晴らしい気分だよ。すでに仮編集版は見せてもらってるんだが、一般のお客さんの反応が知りたくてね。普通の映画館で、いっしょに楽しみたいと思ってるよ」
——その、仮編集版はいかがでした?
「素晴らしいの一言だった。サム・ライミ監督は『スパイダーマン』を見事に映画化してくれたよ」
——『バットマン』や『スーパーマン』と比べて、なぜ『スパイダーマン』がハリウッドで映画化されるのに、こんなにも時間が長い時間が必要だったんでしょうか?
「すべては法的なトラブルが原因なんだよ。いまから12年ぐらい前、キャノンという小さなインディペンデント会社が『スパイダーマン』の映画化権を買い取ったんだ。そこは映画制作の資金を集めるために、ビデオや音楽など、あらゆる権利をすべてプリセール契約で売りさばいてしまったんだ。でも、結局、キャノンは映画化は断念することになった。その失敗から、マーベルは、今後は大きなスタジオに『スパイダーマン』の映画化を任せようと思って、コロンビアに話を持ち込んだ。が、すでに『スパイダーマン』のビデオ化権や音楽権などがそれぞれ別の会社に渡ってしまっていて、交渉が成立できない。そこで、マーベルはまず、すべての権利を取り戻すことにしたんだ。しかし、多くの会社が絡んでいるので、このプロセスにものすごく時間がかかってしまったんだよ」
——単純に権利の問題だったのですね。
「その通り。スパイダーマンを映画化したい人間はたくさんいるのに、ばかばかしい契約のせいで、なかなか前に進めなかったんだよ」
——今回の映画にあなたはどの程度関わっているんですか?
「ほとんどゼロだね。公式にはわたしは一切関わっていないことになってるんだ。もともと自分向きの仕事じゃないと思っていたし。意見を求められることはあったけれど、わたしの貢献はほとんどないと言っていいんじゃないかな。わたしも、ある意味において、きみと同じ立場だよ。映画の公開を楽しみにしている一ファン(笑)」
——『スパイダーマン』誕生当時の話を少しお聞きしていきたいのですが。もし、覚えていらっしゃれば。
「もちろん覚えてるさ(笑)」
——失礼致しました(笑)
「『スパイダーマン』に取りかかる前までに、わたしはすでに『ファンタスティック・フォー』という、4人の特殊な能力を備えたスーパーヒーローものと、『超人ハルク』をやっていた。それで、今度は新しいシリーズを生み出さなくてはいけなくて、ずっと悩んでいたんだ。スーパーヒーローものを生み出す上で大変なのは、超能力を思いつかなければいけないってことなんだ。地球上でもっとも強い男、っていう設定は、すでに『超人ハルク』でやってしまってるし、『ファンタスティック・フォー』のなかでは、空を飛べたり、透明人間になれたりできるヒーローを登場させてしまっている。それで、なにか変わったヒーローを生み出さなくてはいけなくて、ずっと悩んでいたんだ。で、そんなとき、部屋の壁にハエがいるのを見つけたんだ。壁を上手につたっていて」
——おお!
「『おや、こりゃ行けるぞ!』って思ったんだ。壁をつたって移動できるっていう能力は面白いなって、思ってね」
——でも『フライマン(ハエ男)』には、しませんでしたよね。
「そう。壁を移動できるって能力が決まったら、今度はネーミングを考えた。わたしは名前が決まらないとストーリーが思い浮かばないタイプでね。それでいろいろな名前を考えた。『フライマン』はいい響きじゃないし、『インセクトマン(昆虫マン)』や『モスキートマン(蚊男)』もぱっとしない。そのうち、『スパイダーマン』という名前を思いつくんだ。響きがいいし、ドラマティックな感じがすると思って」
——「クモ男」ってネーミングは、出版社から反対されませんでしたか?
「それが、その通りだったんだ。ヒーローの超能力とネーミングが決まって、わたしのなかでキャラクターのイメージが固まったわけだ。当時わたしはある出版社で働いていたんだが、そこの上司に相談したんだよ。『スパイダーマン』っていう10代の少年が主人公のコミックをやりたいですけど、って。そうしたら、上司は、『ぜったいにダメだ』って猛反対してね。『クモほど人から嫌われている昆虫はないだろう? ヒーローにスパイダーなんて名前をつけて、いったいどういうつもりだ?』ってね」
——(笑)
「上司はこうも言ったよ。『10代の少年が主人公というのもダメだ。ガキは、ぜいぜいヒーローの相棒役どまりだ』とね。つまり、わたしがやろうとしたことすべてが間違っていると批判されてしまったわけだ。もちろん、シリーズ化などはとんでもない話で。しかし、あるとき、チャンスが訪れた。『Amazing Fantacies』という廃刊が決定した雑誌があってね。そこに、『スパイダーマン』を忍びこませることにしたんだよ。自分としては、せっかく思いついたアイデアだし、なんとかどこかに発表してしまいたいと思っていて。それに、最終号の中身に、とやかく言う人なんて編集部にはいなかったし。どっちみち廃刊にしてしまうわけだからねそれで、結果的には、『スパイダーマン』が表紙も飾ることになった。そうして発売された最終号は、なんとあっという間に売れたんだ。一月もしないうちに。そうしたら、『スパイダーマン』の企画をボツにした上司がやってきて、『だからヒットするって言っただろう』って(笑)」
——(笑)
「それで、シリーズがはじまったというわけだ(笑)」
——クモを選ぶというのも大胆でしたが、主人公の設定が、多くの読者と同じティーンエイジャーだったというのも画期的でした。
街の正義のために戦いながらも、一方では、宿題もしないといけなかったり、クラスの女の子とデートの約束をとりつけるのに必死だったりといった具合で、等身大のリアルな悩みを抱えているところが、キッズの共感を生んだのだと思うんですが、その主人公をティーンエイジャーにするというアイディアはどこから生まれたんですか?
「どこから生まれたのかは、自分でもわからないよ。ただ、違ったものをやりたいと思っていたことはたしかだね。だから、『スパイダーマン』のアイデアが気に入ったのも、『だれも壁をはい上っていくヒーローは見たことないな』と考えたからで。で、次に『10代のヒーローはいないな』と考えた。たいていのヒーローは大人の男だからね。そんな風に、とにかく見たことのないキャラクターを生み出してやろうと思って、設定を考えていったんだよ」
——じゃあ、これほどまでに成功するとは思っていなかったんでしょうね。
「ぜんぜん。自分がクビにならない程度に、売れてくれればいいと思っていただけだよ(笑)」
——『スパイダーマン』を初めとするマーベル・コミックが、それまでの主流だったDCコミックと比べて画期的だったもうひとつの点は、ゴッサム・シティのような架空の都市ではなく、ニューヨークという街を舞台に据えた点だったと思います。
「それも、『違ったものを作ろう』と決めてやったことのうちの一つだね。いろんなコミックをやってるうちに、どうして架空の街を生み出したり、架空の車を描かなければいけないのか、って思うようになって。それまでは、GMの車もコミックには登場しなかったぐらいだから。あ、ちなみにそのころは、日本車はなかったからね(笑)」
——(笑)
「それで、リアルな車をコミックに登場させることにした。『スパイダーマン』が住むフォレスト・ヒルズという地域もマンハッタン郊外で、なるべくリアルな設定にしようとしたんだよ。主人公が映画に行くシーンでは、ちゃんと実在する映画館を描いたしね。当時わたしが描いていたコミックのキャラクターはみんなニューヨークで暮らしていることになっていて、ときどき、コミックのなかでお互いが出くわすなんてこともあったんだ」
——主人公といい、その設定といい、あなたはコミックをよりリアルなものにしました。どうしてだと思いますか?
「それは簡単だよ。自分が読みたいと思うようなコミックを描きたいと思っていたからね」
——それはわかりやすい説明ですね。『スパイダーマン』がいまだに若者だけでなく、年輩の人にも愛されるのは、そういう理由からなんでしょうね。
「まあ、年輩の人が気に入ってくれているのは、若いときに読んだときの記憶が残っているからだけだと思うけどね。
あと、スパイダーマンの魅力は、あのコスチュームだよね。あれはほんとうにかっこいいと思うよ。壁をよじ登ったり、ビルからビルを飛び移ったり、とにかく個性的なキャラクターだ。だからこそ、みんな愛してくれているんじゃないのかな」
——昨年の9月、ニューヨークでは恐ろしいテロ事件が発生しましたが、もしあなたが『スパイダーマン』を書き続けていたとしたら、この事件を物語に取り込んでいたと思いますか?
「たぶん、それはないと思う。あれほどの悲劇をストーリーに取り込むことは、とてもできないよ。わたしはストーリーはエンターテイメントであるべきだと考えている。読者に悲しい思いなんてさせたくない。ストーリーは楽しいものであるべきだ。もしそういう事件をストーリーのなかに盛り込んでしまったら、ヘヴィーになりすぎてしまうと思うんだ」
——リアルな描写を心がけながら、リアルになりすぎないようにする、っていうバランス感覚が大事なわけですね。
「そうだ。いつも自分に言い聞かせているのは、わたしの使命は娯楽を提供することだ、ってこと。最後のページを終えたとき、読者はいい気分になってなくてはいけない。それで読者の人生がすこしでも良くなってくれれば嬉しいね」
——ここ数年のポップカルチャーでは、『スター・ウォーズ』シリーズが再開したり、トールキン原作の『指輪物語』や『ハリー・ポッター』といった神話性の高い物語が、全世界的に大きな話題を呼んでいます。『スパイダーマン』もまた、ある意味で現代アメリカを代表する神話だと思うのですが、そんな神話の創造主であるあなたから見て、今の時代にこんなにも「神話」が希求されているのはなぜだと思いますか?
「その質問に答える前にひとつ訊かせてもらいたいんだが、日本にもおとぎ話ってあるかい?」
——もちろん、あります。
「そうか。ならちゃんと説明できると思う。このことについてはかなり考えてきたからね。
子供のころ、みんなおとぎ話が好きだろう? おばけやモンスターや魔女や、そういうキャラクターたちに夢中になって。人間って、年を取っても、そういうものを希求する気持ちはなくなることはないんだ。でも、大人になると、おとぎ話は読まなくなる。ばかにされてしまうし、ね。
つまり、ファンタジー映画やコミックは、大人のためのおとぎ話なんだよ。おとぎ話と同様に、ゴーストやモンスターが出て、別の世界が舞台になっていたりして。でも、大人の鑑賞に耐えられる作りになっている。だからこそ、人々は、こういうファンタジー映画に夢中になっているんじゃないのかな。それは、とても素晴らしいことだと思うよ」
——それはその通りだと思います。でも、なぜ、いまこれほどまでにファンタジー映画がここまで作られ、そして、ヒットしているのだと思いますか?
「それには二つの理由があると思う。
まず、技術的な問題だ。たとえば、70年代にはこの手の映画を作る技術がなかった。昔は、こういう映画をやりたくても、やれる状態になかったんだ。いまではーーこれはある映画監督が言っていたのだがーー頭で思いついて、スクリーンに投影できないものはなにもないんだ。
もう一つの理由は、映画業界の流行だ。ほかのビジネスのように、映画業界も、ほかのスタジオがヒットを出すと、すぐに二匹目のドジョウを狙おうとする。一番最初にヒットしたのは『スーパーマン』だった。しかし、その後、二作の続編はそれほどヒットしなかった。だから、コミックの映画化にだれもが殺到するという状況にはならなかった。それから『バットマン』ができた。これはとてつもない収益をあげた。しかし、その後の続編は、だんだんと数字を落としていったので、これまたコミックの映画化ブームにはつながらなかった。それから、われわれマーベルコミックも、映画に進出した。最初の映画は『ブレイド』だった。『ブレイド』って知ってる?」
——もちろん。先週、『ブレイド2』も観ました。
「さすが早いね。出来はどうだった?」
——素晴らしかったです。前作よりも格段に良かったですよ。
「そうか、そうか。話を戻すと、『ブレイド』はヒットになった。たまたまついていただけじゃないか、と思っていたら、今度は、『Xメン』が大ヒットを記録した。それから、『メン・イン・ブラック』や『マトリックス』のような映画がヒットするようになった。これらの作品はコミックが原作というわけじゃないがーーいや、『メン・イン・ブラック』は、実はコミックが原作なんだ。だれもそのことについては知らないがねーーコミックの要素をもった映画だった。それで、これだけのヒットが出た後は、ハリウッドのスタジオは、どこもこの流行にあやかろうとした。だから、こそ、いまこれだけファンタジー映画が作られ、ヒットしているんだよ」
——時間もないので、次の質問に移ります。
今のあなたがすべてを振りかえってみて、数あるコミックのスーパーヒーローの中で、なぜ『スパイダーマン』だけがこれほどまでアメリカン・ポップカルチャーのイコンになり得たのだと思いますか?
「『スパイダーマン』の魅力とは、さっきも話したように、主人公がティーンエンジャーであること、リアルなキャラであること、現実世界に暮らしていること、リアルな問題を抱えていることなどたくさんある。それから、アレルギー症状があったりしてね(笑)」
——(笑)
「つまり、彼はスーパーヒーローらしくないんだ。銃には弱いし、頭を殴られれば倒れるし。そういうヒーローらしくないところが、いいんじゃないのかな」
——自分が創造したキャラクターのみならず、あなた自身もがポップカルチャーのイコンとして崇められていることについてはどう思われますか。名声と引き換えに得たもの、そして代わりに失ったものはありますか?
「正直言って、自分の生活は昔からぜんぜん変わっていないんだ。何十年も前から同じような暮らしをしているし。唯一の違いは、最近は自分のコミックが映画化されるたびに、こうしてインタビューを受けるということぐらいで。いまでも物語を作っているし、好きなことをずっと続けさせてもらってる。ただ、いまはコミックじゃなくて、テレビや映画を舞台にして活動しているよ。新しい会社を設立してね」
——もう、コミックをやらないことには、なにか理由があるんですか?
「1970年にマーベルの経営者になったとき、『スパイダーマン』やその他のコミックを描くのはやめたんだ。それからは、世界中を旅して、コンベンションなどでマーベル・コミックスについて語って。それから、80年代に、LAに移って、アニメーションスタジオを設立して。それから、映画やテレビに興味がでてきて、ずっとそのために働いている。だから、コミックを描く時間はずっとなかったんだ。たまに、やることはあるけれど、レギュラーでやることはないよ。
だいいち、コミックは、すでにさんざんやってるからね。ほかのチャンスがあるのに、同じことを繰り返してばかりいるのも、つまらないだろう?」
——最近のあなたは、活動の場をインターネット上へと移行させているようですね。
「いや、実はもうやっていないよ。インターネットの会社を設立したんだが、共同経営者が、不誠実な男で、いまは刑務所に入っているよ。ブラジルの」
——すごい話ですね(笑)
「インターネットの会社はとても成功していたんだ。ただ、このパートナーのせいで、すべてがだめになった。で、その経験があったから、もうインターネットには興味がないんだ。映画とテレビだけをやっていくつもり。あ、それと、アニメーションをね」
——それでは、最後の質問です。あなたにとって、“アメリカン・コミック”とは何ですか?
「ほかの芸術と同様、ひとつのアートの形態であると思っている。映画やテレビ、文学、オペラ、音楽などと同じようにね。そのなかには、もちろんいいものもわるいものもある。映画が素晴らしいものにもひどいものにもなりえるのと同様に、コミックもひどくも素晴らしくもなるんだ。よく、『〈コミックの名作〉なんて存在するわけないじゃないか。所詮コミックなんだし』と言う人がいる。でも、そういう人にはこう言い返したいね。もし、シェークスピアとミケランジェロが現代に生きていたとして、二人がコラボレーションを組んだとしたら、どんなものを生み出すと思う? ってね。シェークスピアがストーリーを書き、ミケランジェロがイラストを描いたとしたら、それはすばらしいコミックになるよ。つまり、コミックがーーいいコミックも悪いコミックもあるがーー芸術形態であることには疑いはない。わたしはよくできたコミックが好きだ。いい映画が好きなようにね」
——シェークスピアの時代は、戯曲が「ポップカルチャー」だったのかもしれませんよね。
「その通りだ。ミケランジェロだって、お金のために絵を描いていたんだ。現代のイラストレーターや彫刻家のようにね」